はじめに
白髪富士子 作品紹介
白髪一雄 作品紹介
写真
資料
この度、アクション・ペインター白髪一雄の妻・富士子の没後5年にあたる節目として、若き日の数年間に前衛美術家として活躍した富士子の作品をご紹介します。
白髪富士子(旧姓・植村)は1928年に大阪市南区順慶町通(現・中央区南船場)で時計店を営む植村光三(みつぞう)と成乃(しげの)の次女として生まれました。三人姉妹のうち、末娘が幼小期に親戚の養子になったことから、長女と二人姉妹のように育ちました。
富士子は正規の美術教育を受けていませんが、アルバム写真などから高等女学校時代には姉と共に絵画部に所属して絵を描くことに親しんでいたことがわかります。高等女学校を卒業後、京都に転居し母・成乃が営む編み物教室を手伝っていた頃に、能楽を好む母の影響で鼓(つづみ)を習っていた縁で、同じく能楽をたしなむ白髪家の親戚の仲立ちで一雄と結婚。一雄は京都市立絵画専門学校の卒業を間近に控えた23歳、富士子は20歳になったばかりでした。
結婚の翌年、富士子は長男を出産し母となりますが、一雄の絵画制作を間近に見るうちに自身も創作に目覚め、作品制作を始めます。1955年に一雄とともに具体美術協会の会員となり、以降は具体美術展や芦屋市展を発表の場として本格的に制作発表を行っていました。
しかし、一雄が1958年に来日したフランスの美術評論家、ミシェル・タピエに見いだされ、多数の作品をヨーロッパに送る契約を結ぶかたわら具体美術協会の活動が多忙になった頃、自らの創作活動に終止符を打ち、61年以降は一雄のアクション・ペインティングを補佐し活動を支え続けました。白髪一雄が世界のアクション・ぺインターとして成功したことを考えるとき、一雄の才能を信じて共に歩んだ富士子の存在を抜きにして語ることはできないでしょう。
一雄を陰で支えることに徹して自身のことを多くは語らなかった富士子ですが、凛として輝いた若き日の作品と、ひたむきな人物像を写真や資料をあわせてご紹介します。
2020年5月
《 無題 》 白髪富士子 1955年頃
和紙/108 × 77.5 cm 個人蔵
《 無題 》 白髪富士子 1957年頃
顔料、紙/167×92cm 個人蔵
《 無題 》 白髪富士子 1957年頃
顔料、紙/165×91cm 個人蔵
《 無題 》 白髪富士子 1957年頃
顔料、紙/165×91cm 個人蔵
《 無題 》 白髪富士子 1960年
油彩・和紙、キャンバス/73×91cm 個人蔵
《 富士子 》 白髪一雄 1950年前後
鉛筆、紙/35.0×26.6cm 個人蔵
《 富士子 》 白髪一雄 1950年前後
鉛筆、紙/35.1×26.7cm 個人蔵
《 富士子 》 白髪 一雄 1950年前後
水彩・鉛筆、紙/35.4×26.4cm 個人蔵
《 富士子 》 白髪一雄 1950年前後
水彩・鉛筆、紙/35.2×26.8cm 個人蔵
《 太丞 》 白髪一雄 1979年
油彩、キャンバス/182×227cm 尼崎市所蔵
制作風景/1960年頃
一雄と富士子
アトリエにて(一雄の作品とともに)1960年
■ 1928年
大阪市南区順慶町通(現・中央区南船場)で時計店を営む植村光三、成乃の次女として住吉区天王寺町(現・阿倍野区天王寺町)に生まれる。(1月28日)
1934(昭和9)年頃までに、大阪市淀川区十三へ転居。
■ 1940年
大阪市立愛日尋常小学校を卒業。
■ 1946年
大阪府立大手前高等女学校(現・大阪府立大手前高等学校)を卒業。
同年頃、京都市東山区臥雲町(現・東山区本町)へ転居。母・成乃が主催する編み物教室を手伝う。
■ 1948年
白髪一雄と結婚。(2月3日) 尼崎市へ転居。
■ 1949年
長男・久雄を出産。
■ 1952年
この頃から作品制作を始める。
■ 1955年
真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展(芦屋公園)
具体美術協会の会員となる。
第8回芦屋市展
第1回具体美術展(小原会館・東京)
■ 1956年
第9回芦屋市展
野外具体美術展(芦屋公園)
具体美術小品展(三省堂画廊・東京)
第2回具体美術展(小原会館・東京)
■ 1957年
第3回具体美術展(京都市美術館)
第4回具体美術展(小原会館・東京)
■ 1958年
舞台を使用する具体美術 第2回発表会(朝日会館・大阪)
新しい絵画世界展 ―アンフォルメルと具体― (高島屋・大阪ほか)
第2回朝日新人展(高島屋・大阪)
第5回具体美術展(小原会館・東京)
第11回芦屋市展(寄託賞を受賞)
具体グループ展[第6回具体美術展](マーサ・ジャクソン画廊・ニューヨークほか)
■ 1959年
第8回具体美術展(京都市美術館/小原会館・東京)
■ 1960年
第9回具体美術展、国際スカイフェスティバル(高島屋・大阪)
第13回芦屋市展(末積賞を受賞)
■ 1961年
日本の伝統と前衛(国際美学研究所・トリノ)
第10回具体美術展(高島屋・大阪/高島屋・東京)
具体小品展(中之島画廊・大阪)
第14回芦屋市展
具体美術協会を退会し、制作活動を停止。
以降は自身の制作は行わず、一雄の制作を手伝う。
■2015年
尼崎にて逝去。(1月17日、86歳)
●作家活動を停止した後に作品が出品された主な展覧会
■1986年
具体―行為と絵画(兵庫県立近代美術館、マドリッド、ベオグラードを巡回)
前衛芸術の日本1910〜1970(ポンピドゥー・センター、パリ)
■1990年
前衛の日本ー1950 年代の具体グループ(ローマ国立近代美術館)
■1991年
具体・日本の前衛1954-1965(ダルムシュタット市立マチルデンヘーエ美術館)
■1992年
具体展 I (芦屋市立美術博物館)('93年に具体展 II, IIIが開催される。)
■1993年
第45回ヴェネチア・ビエンナーレ「東洋への道」
■1994年
戦後日本の前衛美術―空へ叫び
(横浜美術館、グッゲンハイム美術館・ニューヨーク、サンフランシスコ近代美術館を巡回)
■2004年
結成50周年記念「具体」回顧展(兵庫県立美術館、神戸)
痕跡―戦後美術における身体と思考(京都国立近代美術館/東京国立近代美術館)
■2006年
ZERO(クンストパラスト美術館, デュッセルドルフ/サン= テティエンヌ近代美術館)
■2012年
「具体」―ニッポンの前衛 18年の軌跡(国立新美術館、東京)
■2013年
具体:素晴らしい遊び場所(グッゲンハイム美術館、ニューヨーク)
■2019年
集めた!日本の前衛―山村徳太郎の眼 山村コレクション展(兵庫県立美術館)
●作品の所蔵館